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The Pit

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ハズブロ社の 「G.I. ジョー」 に関するランダムな記事のブログです。

資料/デヴィー・クロケット

 今回はアラモの戦いで知られるデヴィッド・“ デヴィー ”・クロケット (1786年~1836年) についての記事です。
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 上の画像はチェスター・ハーディング (1792~1866年) によるデヴィー・クロケットの肖像画。



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アラモの戦いとデヴィー・クロケット


 1821年にメキシコがスペインから独立すると、メキシコ北部には開拓のために多くのアメリカ人が入植しましたが、独立戦争で疲弊していたメキシコ政府には北部をきちんと統治する余裕がなく、入植者たちとメキシコ政府との間の軋轢が高まり、入植者たちはテハス (現テキサス州) と呼ばれる地域を独立させるための戦いを開始しました。 これがテキサス革命 (テキサス独立戦争とも。 1835年~1836年) です。

 この戦争の中で最も有名な戦いは、現在のテキサス州サンアントニオにあったアラモ伝道所を舞台とした 「アラモの戦い」 で、そこで活躍したデヴィッド・“ デヴィー ”・クロケットはアメリカの国民的英雄となっています。
 
 テネシー州出身で下院議員も務めたこともあるデヴィー・クロケットは型破りな西部開拓者として民衆に絶大な人気があり、テキサス革命が起こるとテネシー義勇兵として参戦しました。
 デヴィー・クロケット大佐を含むアメリカ勢が守備したアラモの砦は結局メキシコ軍に陥落してしまい、クロケットも処刑されてしまったのですが、その後のサンジャシントの戦いでは劣勢だった独立派が 「アラモを忘れるな!」 を鬨の声としてメキシコ軍を破り、メキシコ大統領サンタ・アナを捕らえ、テキサスの独立を果たしました。


 デヴィー・クロケットについては、彼を主役にしたホラ話は無数に存在し、愛用したアライグマの毛皮の帽子 (クーンスキン・キャップ) は彼にちなんでクロケット帽とも呼ばれています。
 またディズニーが 『デイビー・クロケット/鹿皮服の男』 " Davy Crockett, King of the Wild Frontier " (1955年)という映画を製作しており、各地のディズニー・パークにあるフロンティア・ランド (日本ではウエスタンランド) にはデヴィー・クロケットにちなんだ名称がいくつか使われています。
 ジョン・ウェインは 『アラモ』 " The Alamo " (1960年) という映画を制作・監督・主演しており、彼が演じたのはもちろんデヴィー・クロケット大佐でした。


 アラモの戦いで有名な人物として、ジェームズ・“ ジム ”・ボウイ大佐の名も挙げられます。 彼はアラモ伝道所の砦の司令官としてクロケットたちと共に戦って散った人物ですが、彼が武器や狩猟用に愛用したナイフは今日でもボウイ・ナイフ (発音はブーイ・ナイフのほうが近いようです) として知られています。
 下は wikipedia の Bowie knife の項にあった画像。 ボウイ・ナイフの典型的なイメージです。
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 アラモ伝道所は、テキサス州サンアントニオにある他の4つの伝道所跡と共に 「サンアントニオの伝道所群」 として2015年に世界遺産となったばかりです。
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 アラモの戦いを経て独立を果たしたテキサスは、その後1845年にアメリカに併合されました。
 アラモの砦とは、テキサスの自由の象徴なのです。

 しかしアメリカ併合後も、依然テキサスはアメリカとメキシコとの間の火種となり、間もなく米墨戦争 (アメリカ・メキシコ戦争。 1846年~1848年) が勃発しています。
 その結果メキシコは領土の3分の1を失い、カリフォルニア、ネバダ、ユタの全域と、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラドの大部分がアメリカ領土となりました。
 こうしてアメリカとメキシコの国力差は決定的なものとなって現在に至っています。


 米墨戦争では、アメリカ軍歩兵を指す俗称としてドウボーイ (ダウボーイ) Doughboy という名称も生まれました。
 dough は 「パン生地」 の意で、乾燥地帯を行軍していたアメリカ軍歩兵の顔が白い粉塵にまみれ、パン生地のように見えた事に由来します (「G.I. ジョー以前のアメリカ兵に対する俗称」 の記事も参照)。

 なお、この米墨戦争でアメリカ海軍のメキシコ湾のベラクルスへの上陸作戦を指揮したのは、後に日本に来航して開国を強要したマシュー・ペリー提督でした。

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G.I. ジョー


アンオフィシャル・アラモ・パトロール (1998年)/ジョーコン (スーベニア)
 Unofficial Alamo Patrol
 1998 ハズブロ・インターナショナル G.I.ジョー・コンベンション “ リメンバー・ザ・レジェンド ” にて発売。
 デヴィー・クロケット、メキシカン・ソルジャーのセット。
 ハズブロの G.I. ジョー:クラシック・コレクションとコッツウォルド・コレクティブルズ社とのコラボによる、非正規ライセンスの “ アンオフィシャル ” G.I. ジョー。
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デヴィー・クロケット  Davy Crockett
d0164702_02221041.jpg テキサス独立戦争のアラモの戦い (1836年) のデヴィー・クロケット。
素体:
   ヘッドはクラシック・コレクションから。
   ボディーは不明。
付属品:
   クーンスキン・ハット (※クロケット帽)
   シャツ∔タイ    トラウザー    ブーツ×左右
   バックスキン・ジャケット    ベルト
   バッグ    パウダー・ホーン (※角で作った弾薬入れ)
   ライフル

















メキシカン・ソルジャー  Mexican Soldier
d0164702_02220743.jpg テキサス独立戦争のアラモの戦いにおけるメキシコ軍の兵士。
素体:
   ヘッドはクラシック・コレクションから。
   ボディーは不明。
付属品:
   チュニック    トラウザー    ブーツ×左右
   ハット    ベルト+ストラップ∔バックル
   ライフル
   ソード    シース



















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インターナショナル


デヴィー・クロケット (1977年)/グルップ・アクシオン・ジョー (ラ・コンケト・ドゥ・ルエスト)
d0164702_21410153.jpg Davy Crockett  (#7909)
 グルップ・アクシオン・ジョーはセジ・アルボワ社が発売したフランス版 G.I. ジョー。
 ラ・コンケト・ドゥ・ルエスト (西部征服) のシリーズから発売。
 フィギュアは付属せず。
内容:
   クーンスキン・ハット (※クロケット帽)
   シャツ    トラウザー    ベルト    モカシン×左右
   ライフル (※ルベル M1886?)+スリング
   トマホーク    ナイフ    シース
   バッグ    パウダー・ホーン (※角で作った弾薬入れ)








ウニフォルメ・ダヴィード・クロケット (発売年不明)/アクシオン・ティーム:GI ジョー
d0164702_00423538.jpg Uniforme David Crockett  (AT 73)
 アクシオン・ティームはポリスティル社が発売したイタリア版 G.I. ジョー。
 フィギュアは付属せず。
 デヴィー・クロケットのユニフォーム。
 内容はフランス版のデヴィー・クロケットのリパッケージ。












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関連事項


■RoC トイ
 RoC のSDCC 限定デストロ2パック (2009年) のボックスにはマッカラン家の歴代当主の業績が記されていましたが (ジェームズ・マッカラン9世の記事参照)、テキサスがアメリカに併合された時期に活躍した当主は以下の通りです。

ジェームズ・マッカラン18世
 1809~1846年。 当主在位1841~1846年。
 アメリカ西部の軍事指導者に兵器を販売する際に、パロ・アルト付近で飛行機事故により死亡した。

・ パロ・アルトはおそらく米墨戦争 (1846年~1848年)の最初の大きな戦いであるパロ・アルトの戦いの戦場となった現テキサス州ブラウンズヴィル付近の地名と思われます。
・ 飛行機事故 (原文では plane crash) という一文については、ライト兄弟が世界初の動力飛行に成功した1903年より50年も前の出来事であるわけですが、1842年にイギリスのウィリアム・ヘンソンが蒸気機関を動力とする巨大な単葉機の特許を取得しており、技術面や資金面などで成功には至らなかったものの、後の飛行機の大方の特徴を備えていました。 おそらくマッカランはこうした革新的な技術を実用化していたのでしょう。

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by joefig | 2016-07-05 18:50 | 資料 | Trackback | Comments(0)
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