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The Pit

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ハズブロ社の 「G.I. ジョー」 に関するランダムな記事のブログです。

資料/ダグラス・マッカーサー

 今回はダグラス・マッカーサーについての記事です。

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 このところ、日本の 「集団的自衛権」 を巡る論議が盛んですが、他国では普通に有しているこの集団的自衛権が特に日本では議論となるのは、日本国憲法の第9条に 「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の拒否」 という3つの規範的要素が謳われていることによります。
 従来日本政府は、この第9条に基づいて 「自国の防衛以外に武力行使はできない」 と説明してきたのですが、アメリカから 「憲法を改正して(アメリカの軍事活動に同調した活動ができるように) 集団的自衛を認めるべきだ」 という声があがるようになってきました。

 そもそも日本国憲法に第9条があるのは第二次世界大戦後に日本を占領統治したアメリカの意向であり、にも関わらず実質的には軍隊といっていい自衛隊があることもまた、1950年の朝鮮戦争の直後にアメリカから警察予備隊 (自衛隊の前身) の編成を要請されたことによります。

 この日本国憲法と警察予備隊の双方の成立に大きく関与したのが、今回記事にするダグラス・マッカーサーです。
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ダグラス・マッカーサーについて


d0164702_14283790.jpgダグラス・マッカーサー  Douglas MacArthur
 1880年1月26日~1964年4月5日。 アメリカの軍人、陸軍元帥。
 アーカンソー州リトルロックで誕生。 父のアーサー・マッカーサー・ジュニア中将は南北戦争時の名誉勲章受章者。
 ウエスト・ポイント陸軍士官学校を卒業。 第一次大戦では陸軍士官学校長、陸軍参謀総長。
 1028年アムステルダム・オリンピックではアメリカ選手団団長。
 1941年に極東軍司令官となり、太平洋戦争ではマニラ防衛戦、レイテ島上陸作戦などを指揮。 1944年元帥。
 1945年、連合国最高司令官として進駐した日本では東京に総司令部 (GHQ) を設置、日本の非軍事化と民主化を進めた。
 朝鮮戦争 (1950~1953年) では国連軍総司令官を務めるが、中国領への戦線の拡大を主張してトルーマン大統領に解任された。 退任時の演説では 「老兵は死なず、ただ消え行くのみ」 という言葉を残している。
※右の画像は日本版ウィキペディアの 「ダグラス・マッカーサー」 の記事より。

G.I. ジョー・トイ
 マッカーサーは2004年にG.I. ジョー・フィギュアとなっている。
 詳細は以下の通り。



ジェネラル・オブ・ジ・アーミー ダグラス・マッカーサー (2004年)/ブラボー Asst (メダル・オブ・オナー・レシピエント)
d0164702_14440616.jpg General of the Army Douglas MacArthur (#81963/81570) ボックスの記載は2003年。

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素体:
   ヘッドは新規造型。
   ボディーはクラシック・コレクション素体。
付属品:
   シャツ    トラウザー    ベルト    ソックス    シューズ     制帽 (※フィリピン軍元帥)
   サングラス (※レイバン・アビエーター)    パイプ (※ミズーリ・メーシャム社製コーンパイプ)
   ピストル (※ レミントン・モデル95ダブル・デリンジャー)
   元帥旗    ポール    テーブル (折り畳み式)    ブリーフケース (開閉・小物収納可)    ビノキュラー
   地図×2枚    平行定規    分度器    分割器 (※コンパス)
ボックス裏の説明文:
ジェネラル・ダグラス・マッカーサー
メダル・オブ・オナー──1942
 第二次世界大戦中における英雄的行為により、ダグラス・マッカーサー将軍はアメリカ南北戦争時に父も受賞していた名誉勲章を受章した。 この名高い賞を父子共に受賞したのは彼らが初である。
 1935年、ダグラス・マッカーサーはフィリピンが敵の攻撃と戦えるだけの軍事力を築くことを支援すべく、軍事アドバイザーとして派遣された。 2年後、再任を伝えられた時にマッカーサーは陸軍から退役したが、フィリピンでの任務を完遂していないと感じていた。 その後アメリカ軍の任務に呼び戻された彼は中将としてフィリピンにおける軍の指揮権を与えられ、そこで1941年まで陸軍元帥として働いた。 パール・ハーバー爆撃の翌日、敵はフィリピンを攻撃してすかさず航空支援を壊滅させ、マッカーサーの軍隊はバターン半島への撤退を強いられた。
 この困難な時期の中、彼はオーストラリアに再配属された彼はここで 「I shall return (必ず戻って来る) 」と誓い、フィリピンに残さざるを得なかった者たちを助けるべくそこに戻る決意を示した。 1944年、彼はついに島に戻った。 彼はレイテの海岸を歩きながら 「私は戻った」 と勝ち誇って宣言した。 続いて彼はフィリピンの敵からの解放を率いた。 マッカーサーはその 「フィリピン島の征服への抵抗を整えた傑出したリーダーシップ」 に対して名誉勲章が授与されたが、彼の英雄的行為、激しい戦火の中にあって自らの安全を顧みずレジスタンスの精神を励起し鼓舞する能力は、名誉勲章の勲記を引用すれば、マッカーサーは 「彼らの軍に対するアメリカ人の信頼を確認した」 手本なのだ。


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マッカーサーのエピソード


昭和天皇との会見
 フィリピンで一度は日本軍に完敗したマッカーサーは、日本に恨みを抱いていました。
 日本の敗戦間もない1945年9月27日、昭和天皇はマッカーサーに会うためにアメリカ大使館公邸を訪れました。
 ここで天皇が語ったのは以下のような内容だったといいます。
 「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。 また私は日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。 自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。 構わずに総ての事を進めていただきたい。 私は全責任を負います」。

 命乞いに来たものと思っていたマッカーサーは、天皇の言葉に驚き、『回想記』 にこう記しています。
 「私は大きい感動にゆすぶられた。 死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに、天皇に帰すべきではない責任までも引受けようとされた。 この勇気に満ちた態度に、私の骨の髄までもゆり動かされた。 私はその瞬間、私の眼前にいる天皇が、個人の資格においても日本における最高の紳士である、と思った」。

 侍従長を務めた藤田尚徳 (ひさのり) の著書 『侍従長の回想』 では、マッカーサーはこう発言したとあります。
 「かつて、戦い敗れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。 私は陛下に感謝申したい。 占領軍の進駐が事なく終ったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これ総て陛下のお力添えである。 これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わねばならぬことは多い。 どうか、よろしくお願い致したい」。

 そしてこの37分間の会見で、マッカーサーの昭和天皇に対する態度はまったく変わり、手を握りしめて 「私は、初めて神の如き帝王を見た」 と言い、最後は自ら昭和天皇を玄関まで見送ったといいます。



日本国憲法の制定
 上記の会見の後の10月、GHQ は日本に憲法改正を要求しました。
 日本は 「松本委員会」 という憲法問題調査委員会を設けて改正に着手しましたが、翌1946年2月1日、その草案が毎日新聞にスクープされ、内容を知ったGHQ は「これでは明治憲法と変わらない」 として拒否。
 マッカーサーは、2月26日になれば極東委員会 (イギリス、アメリカ、ソ連、中国など戦勝国11ヶ国が日本を管理する政策期間) が発足し、マッカーサーの権限が無制限でなくなり、天皇制の廃止や天皇の処刑が要求される可能性が高いと判断し、GHQ が草案を起草することにしました。
 このとき、マッカーサーは憲法改正で守るべき三原則を示しています (マッカーサー・ノート)。
   1.The Emperor is at the head of the State. (天皇は国家の元首の地位にある。)
   2.War as a sovereign right of the nation isabolished. (国権の発動たる戦争は廃止する。)
   3.The feudal system of Japan will cease. (日本の封建制度は廃止される。)


 2月12日、GHQ による草案 (マッカーサー草案) が提出され、3月2日、これをほぼ丸呑みする形で草案が再提出され、最終案となりました。



朝鮮戦争
 1945年、日本への原爆投下後に対日参戦したソ連は満州国に侵攻後、さらに当時日本領だった朝鮮に上陸。 朝鮮半島全体がソ連の手に落ちるのをおそれたアメリカ軍は北緯38°線を境界とする南北分割占領を提案し、ソ連もこれを受け入れ、1948年、南部に大韓民国 (韓国)、北部に朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮) が成立しました。
 ところが1950年、武力による朝鮮半島の統一を目論んだ北朝鮮が38°線を越えて侵攻したため、朝鮮戦争 (1950~1953年) が勃発しました。
 韓国にはアメリカを中心とする国連軍がつき、北朝鮮側には中国人民義勇軍 (実態は中国人民解放軍) が加わるほかソ連が武器調達などで支援し、西側陣営と共産圏との代理戦争の様相を呈しました。

 このとき国連軍の総指揮権を与えられたマッカーサーは、1951年5月、アメリカ上院の軍事外交合同委員会で以下の発言をしています。
      「アメリカが過去100年に太平洋で犯した最大の政治的過ちは、 共産主義者が中国において勢力を
      増大して行くのを黙過してしまったことである」

 マッカーサーは朝鮮戦争を戦うことで、支那事変以降に中国と対峙してきた日本の立場を今は自分たちが味わっている点に気付いたのでしょう。
 
 朝鮮戦争では、マッカーサーは中国への海上封鎖、旧満州への空爆、中国への核攻撃の必要性を主張しました。
 しかし、ソ連を刺激して対決することになるのを恐れたトルーマン大統領により国連軍総司令官から解任されることになってしまいました。

 なお、第二次大戦中はヨーロッパ戦線で野戦司令官として活躍したオマール・ブラッドリーはマッカーサーの解任は当然ととらえており、議会で 「共産中国は世界を支配しようとするほど強大な国ではない。 率直に言って統合参謀本部の意見では、この戦略は我々を間違った時に間違った場所で間違った相手との間違った戦争に巻き込むだろう」 と語っています。
 このブラッドリーもまたG.I. ジョーのフィギュアとなった一人です。

 ソ連崩壊後の情報公開では、ソ連政府は朝鮮戦争に介入しないと決めていた事が判明しており、また現在の中国共産党の方向性を見る限り、トルーマンやブラッドリーよりもマッカーサーの見解の方が (核攻撃は別として) 的を得ていたように思えてきます。



マッカーサーの退任演説
 解任されるにあたり、マッカーサーが上下院の合同会議で退任演説を行った際の言葉 「老兵は死なず、ただ消え行くのみ」 (Old soldiers never die, they just fade away.) は有名になりました。
 これはもともとは兵舎で流行った風刺歌の一節で、マッカーサーはそれを引用したようです。

 何パターンかある歌詞のようやくは以下のようなものだそうです。

      遠くにある古ぼけた食堂で、俺たちは一日三度、豚と豆だけ食う。
      ビーフステーキなんて絶対出ない。 畜生、砂糖ときたら紅茶に入れる分しかない。
      だから、おれたちゃ少しずつ消えていくんだ。 老兵は死なず、ただ消え去るのみ。
      二等兵様は毎日ビールが飲める、伍長様は自分の記章が大好きだ。
      軍曹様は訓練が大好きだ、きっと奴らはいつまでもそうなんだろう。
      だから俺たちはいつも訓練、訓練。 消え去ってしまうまで。 

 マーベル版コミック 『G.I. ジョー:リアル・アメリカン・ヒーロー』 にジョセフ・コルトンが初登場した第86号のサブタイトル 「…消えることなく!」 ...Not Fade Away ! 、及び同じくコルトンが登場した第152号のサブタイトル 「…ただ消えゆくのみ」 ...Just Fade Away は、このマッカーサーの言葉を元にしたものです。



韓国のマッカーサー像
 韓国では、マッカーサーが日本から出張指揮して成功させた仁川 (インチョン) 上陸作戦を記念して、仁川の自由公園にマッカーサーの像が立てられました。
 韓国ではこの像について 「南北分断状況を克服するには、帝国主義支配の元凶であるマッカーサー像を撤去し、アメリカ軍を追放して自主統一国家を作らなければならない」 として 「在韓米軍の撤収」 と 「マッカーサー像の撤去」 を主張する活動があり、2005年には保存派と撤去派の団体との間でひと悶着があったようです。

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その他


ダグラス・マッカーサー2世  Douglas MacArthur II
 マッカーサーには、1957~1961年に駐日大使を務めたダグラス・マッカーサー2世という甥がいるのですが、彼の見識や日本や韓国に対する見解は、“ マッカーサー・テレグラム ” として知られる文書 「国務省機密電文3470号」 の中に見てとれます。
 この文書にみられるのは、以下のような提言です。
    ・ 竹島は古来日本の領土と認識されている島であり、これを李政権が武力によって不法に占拠したものである。
    ・ 人質外交をやめさせ、人質となっている日本人漁師を直ちに解放させるべきである。
    ・ 李承晩ライン周辺の韓国領海外の公海上で日本の漁船を拿捕する行為を中止させるべきである。
    ・ 韓国の次期政権に対して竹島を日本に返還するよう圧力をかけるべきである。
    ・ 次期政権にいかなる形においても竹島を返還する意思がない場合には、米国は最低限でもこの件を
      国際司法裁判所に付託し仲裁を求めるよう主張すべきである。

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 以上、ダグラス・マッカーサーでした。
 G.I. ジョーのフィギュアにもなったこの人物と日本の関わりには深いものがありますね。

 コブラと戦うG.I. ジョー・チームのメンバーの中にも、マッカーサーの名を持つ者がいます。 次回はその人物について記事にしてみたいと思います。
 それでは!

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by joefig | 2014-06-20 13:28 | 資料 | Trackback | Comments(0)
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