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The Pit

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ハズブロ社の 「G.I. ジョー」 に関するランダムな記事のブログです。

資料/アクション・フィギュア 「G.I.ジョー」 の誕生

 今回はアクション・フィギュア 「G.I.ジョー」 の誕生について記事にしたいと思います。

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 上の画像はドン・ルヴィンが2003年にオークション放出したG.I.ジョーのプロトタイプの画像。
 このとき、20万ドル以上の高値で落札したのはスティーヴ・ゲッピ。 北米のコミックの流通市場をほぼ独占する問屋ダイヤモンド・コミック・ディストリビューション社の社長であり、メリーランド州ボルチモアにゲッピズ・エンターテインメント・ミュージアムというポップ・カルチャーの博物館も所有しています。



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前史

 
 G.I.ジョーの起源に関しては、当ブログのこちらの記事を参照。

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バービー


 アメリカの玩具メーカーのマテル社の創業者であるエリオット・ハンドラー&ルース夫妻は、スイスへ旅行へ行った際に娘バーバラへのお土産として、ドイツのアクセル・シュプリンガー社が刊行するタブロイドの日刊新聞 『ビルト』 に1952年から掲載されていたコミックのヒロイン 「リリー」 の人形 (通称 「ビルト・リリー」) を購入しました。

 当時のコミックは子供向けではなく大人を対象としており、秘書のリリーは、当時としては自由奔放でセクシーなキャラクターでした。
 それを人形化したリリーも、子供のためのおもちゃではなく、例えばバーなどの片隅に飾られるようなアイテムだったようです。 サイズは約12インチと約7.5インチの2種類がありました。
 英語圏向けには、ドイツ出身のハリウッド女優マレーネ・ディートリッヒの持ち歌として有名になったドイツの歌謡曲にちなみ 「リリー・マルレーン」 として輸出されていたそうです (人形のリリーとリリー・マルレーンのスペルは若干違います)。

リリー (1955年)
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 ハンドラーはこの 「リリー」 を基にした着せ替え人形を企画し、日本の玩具問屋 「国際貿易」 に開発・生産を依頼。 日本に派遣された衣装デザイナーのシャーロット・ジョンソンは滞在先の帝国ホテルにミシンを持ち込み、1年以上も試作を繰り返しながら完成させたそうです。

 この頃の事情は、当ブログの 『バービーと私』 の記事も参照してください。

 人形は 「バービー」 の商品名で1959年に発売。 ご存知の通りバービーは大ヒットとなりました。

バービー (1959年)
 現在発売されているものと違い、流し目などを含めリリーにそっくりです。
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 バービー (本名はバーパラ・ミリセント・ロバーツというそうです) とそのボーイフレンドであるケンの名前はハンドラーの娘バーバラと息子ケニーの名前からとられたものですが、商品イメージを壊さないよう、1990年代頃まで公言されることはなかったようです。

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アクション・フィギュア 「G.I.ジョー」 の誕生


 ニューヨークに、ウェストン・マーチャンダイジングという会社を経営するスタンリー・“スタン ”・ウェストンという人物がいました。
 ウェストンは 『0011ナポレオン・ソロ』 の MGM や “ユニバーサル・モンスターズ ” で知られるユニバーサルなどのライセンス事業を手がけていました。
 現在でこそ、各社がそれぞれ保有する作品の版権は収入の柱となっていますが、当時は自社で版権を管理する会社はほとんどなかったようです。

 やがてウェストンはミリタリー関連のトイの企画に力を入れるようになり、プラモデルのオーロラ社などに売り込んでいました。
※オーロラ社はナポレオン・ソロやユニバーサル・モンスターズのプラモデルも発売していました。

 当時のオーロラ社のプラモデルには、戦車や飛行機などに混じって以下のような商品もあったようです。

U.S.アーミー・インファントリーマン (1957年)  U.S.マリーン (1959年)
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U.S.エア・フォース・パイロット (1957年)  U.S.セーラー (1957年)
アメリカン・アストロノート (発売年不明)  U.S.スペシャル・フォース・グリーン・ベレー (発売年不明)

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 このような商品と関わってきたウェストンに、マテル社のハンドラー夫妻と親しくなる機会がありました。
 マテル社のバービーに注目したウェストンは、アメリカ海兵隊を舞台にしたTVドラマ 『ルテナント』 "The Lieutenant" (1963~1964年) をきっかけに、男の子向けの着せ替え可能な兵隊人形のアイディアを考案しました。

 可動部分が首、肩、股関節 (T-クロッチ) だけだったバービーに対し、ウェストンの兵隊人形は、木製のデッサン人形をヒントに全身の関節が可動するというもので、そこに着せ替えのユニフォームや多数の軍装品が付属するというものでした。

 1963年のトイフェアにおいて、ウェストンは自分のアイディアを 「Mr. ポテト・ヘッド」 で有名なハッセンフェルド・ブラザーズ社 (間もなくハズブロに改名) の副社長でクリエイティブ・ディレクターでもあったドナルド・“ ドン ”・ルヴィン (朝鮮戦争に従軍経験あり) に持ちかけました。

 当時のおもちゃ業界では、兵隊人形といえば古くからある (起源は1938年頃) いわゆる 「アーミー・メン」 と呼ばれる3インチ程度の廉価な人形のイメージが支配的で、ウェストンのアイディアに対する最初の反応はさほど芳しいものではなかったようですが、会社を運営する2人の兄弟のうち、メリル・ハッセンフェルドが興味を示しました。
 早速、ドン・ルヴィンの手で陸軍歩兵、海兵隊パラトルーパー、空軍パイロット、海軍フロッグマンが試作されたようです。

 下は陸軍歩兵のプロトタイプ。 肩口には第3歩兵師団のインシグニアがあります。
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 ヘッドのデザインの最終稿は、太平洋戦争時の1942年、ソロモン諸島のガダルカナルの戦いにおける活躍で名誉勲章 (メダルメオブ・オナー) を授与された海兵隊の小隊軍曹 (プラトーン・サージェント) ミッチェル・ペイジ (1918~2003年、1959年の退役時の階級は大佐) がモデルとされています。
※なお、ペイジ軍曹は、ずっと後の1998年になって、12インチのクラシック・コレクションのラインから、名誉勲章受賞者ミッチェル・ペイジ (Medal of Honor Recipient Mitchell Paige) としてフィギュア化を果たしています。 当ブログのこちらの記事を参照。


d0164702_3415397.jpg 試作段階では、陸軍歩兵 (アクション・ソルジャー) と海兵隊 (アクション・マリーン) には 「ロッキー」、海軍水兵 (アクション・セーラー) には 「スキップ」、空軍パイロット (アクション・パイロット) には 「エース」 という名前が考案されていたようですが、結局はキャラクター性を排した無名戦士という路線で発売することになり、商品開発中にたまたまTVで放映されていた映画 『G・I・ジョウ』 (1945年) を観たスタッフにより、「G.I.ジョー」 という包括的な商品名が採用されることになりました。

 また、「人形 (ドール)」 は女の子が遊ぶものであり、男の子には敬遠されてしまうだろうということで、「アクション・フィギュア」 という名称も考案されました。

 ハズブロの経営者メリル・ハッセンフェルドは、旧友であるロードアイランド州兵の将校レナード・ホランド少将から州兵隊の施設へのアクセス権を得て、精巧な装備品のデザインに役立てました。


 発明者であるウェストンは、発明料として当時の相場であった、売り上げの5%を要求しましたが、ハズブロは高い開発費を理由に0.5%を提示、次にウェストンがせめて3%と粘るとハズブロは1%を提示してそれ以上は応じず、結局ウェストンは、10万ドルで全てを売却するという別の提案に合意することになりました。

 こうして初の 「アクション・フィギュア」 であるG.I.ジョーが誕生し、1964年にニューヨークで開催されたトイフェアで発表されました。
 G.I.ジョーは発売されるや大ヒット商品となり、もしもウェストンが1%で合意していれば、初年度だけで15万ドル以上を手にすることができたといわれています。

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試作段階の名称について


 試作段階の陸軍歩兵と海兵隊の 「ロッキー」 という名称には、DC コミックの 『サージェント・ロック』 からの影響がみられます。

 後の3.75インチ時代のG.I.ジョー・チームのメンバーであるカッターは本名がスキップ・A・ストーンといい、スキップ、エース、ロッキーの名称にちなんだネーミングとなっています。

 現在G.I.ジョー・コレクターズ・クラブ (GIJCC) が発行している 『GIJCC マガジン』 に連載されているショート・コミック 『アドベンチャー・チーム・クロニクルズ』 の中では、シー・アドベンチュラーの名前がスキップ、エア・アドベンチュラーの名前がエースとなっています。

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その後のスタン・ウェストン


 アクション・フィギュア 「G.I.ジョー」 の企画の考案者であったスタン・ウェストンは、アイデアル社から発売されたG.I.ジョーの類似商品 「キャプテン・アクション」 の企画などでその後も玩具業界で活躍し、1970年には、後に 「サンダーキャッツ」 の制作で知られることになるマイク・ジャーマキアンと共にトイのライセンス事業を扱う 「レジャー・コンセプツ」 社 (本社:ニューヨーク市マンハッタン) を設立しました。
※「キャプテン・アクション」 はタカラのニューG.I.ジョーの 「正義の味方」 や変身サイボーグの 「変身セット」 の元ネタでもあります。

 この会社は1980年頃は TV番組 『チャーリーズ・エンジェル』 とその出演者であるファラー・フォーセットのライセンスを扱うなどしていました (トイはハズブロから発売) が、1987年には 『スター・ウォーズ』 のマーケティング契約や任天堂のアメリカ法人と契約を結ぶなどで成功を収め、1995年には社名を 「4キッズ・エンタテインメント」 に改めています。
 この時期にウェストンは同社の会長となり、C.E.O.にはコレコ社 (「キャベッジ・パッチ・キッズ」を大ヒットさせるも膨大な在庫を抱えて倒産、ハズブロに吸収) のライセンス部門の主任であったアルフレッド・“アル”・カーンが就任しています。

 子供向け商品に関する4キッズ・エンタテインメントの事業は幅広く、「4キッズTV」 というアニメ番組の枠を持ったり、『ティーン・エイジ・ニュータント・ニンジャ・タートルズ』 や 『G.I.ジョー:シグマ6』 といったアニメ作品のプロデュース業、Xbox 360 の子供向けソフトの開発、『ポケットモンスター』 や 『遊☆戯☆王』 、『ONE PIECE』 といったジャパニメーションの放映権 (ただしセリフや編集の改変などで評判は悪かったようです) で何十億ドルもの利益を生んでいたのですが、2012年に経営破綻し、現在は経営再建中のようです。


 スタン・ウェストンは現在は南フランスに住んでいるようですが、彼の息子ブラッドは、実写版 『G.I.ジョー』 や 『トランスフォーマー』、一連のマーベル映画を手がけるパラマウント・ピクチャーズの幹部を経て、現在は映画制作会社リージェンシー・エンタープライズの子会社ニュー・リージェンシーの C.E.O.の座に収まっているようです。

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 以上、アクション・フィギュア 「G.I.ジョー」 の誕生を記事にしてみました。
 
 なお、マテルの創業者ルース・ハンドラーはポーランド系ユダヤ人、ハズブロの創業者ハッセンフェルド兄弟はウクライナ系ユダヤ人です (他にもアイデアル社やコレコ社、セガやタイトーなど、玩具業界ではユダヤ系は多いのです)。
 ユダヤ教にはゴーレムという自分で歩く泥人形の伝承があるのですが、土 (アダマー) から造られた人類の始祖アダムこそは最初のゴーレムであったとする説があるそうです。
 『創世記』 ではアダムの肋骨から最初の女性エヴァ (イヴ) が造られましたが、プラスチック人形のG.I.ジョーはバービーにインスパイアされて誕生しました。
 8~10世紀に書かれたユダヤ教の民間伝承 『ベン・シラのアルファベット』 という書物には、アダムの最初の妻がリリス Lilith (メソポタミアに起源をもつ女怪) であったと記されているそうですが、バービーの基になったリリー (ユダヤ人を迫害したドイツで生まれたキャラクター) の名前は奇しくもこれによく似ていますね。

 蓮っ葉な雰囲気のリリーと兵隊人形のG.I.ジョーを見比べると、「人類最古の職業は、女性は売春婦、男性は傭兵」 という古くからの言い回しを思わずにはいられません。

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by joefig | 2013-12-23 16:18 | 資料 | Trackback | Comments(2)
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Commented by NOR at 2013-12-25 01:30 x
おもしれーっ!まさに「アクションフィギュア誕生の歴史」ですね!
女の子向けの「ドール」を男の子向けとして開発し、「アクションフィギュア」が誕生した。というのは、まさに大転換であり革命ですね。
最後のコラムも興味深い!

日本での版権玩具史の明確なスタートといえば鉄腕アトムでしょうか。
車やヒコーキで用いられていた「ブリキ玩具」の技術を転用した「ブリキのロボット」が、アトムや鉄人の玩具になって後に「ポピー超合金」を生み出し、「ソフビ」はウルトラ怪獣からガシャポン、ケシを経てトレーディングフィギュアへ、「模型」は宇宙戦艦ヤマト以降アニメプラモデルのブームを作って「ガンプラ」誕生・・・ 
みたいな。そんな詳しくはないんでザッとですけど。

アニメと玩具が「込み」で企画制作されるケースって、日本ではアトム以降から伝統的に続いているわけですが、アメリカではヒーマンより僅差で早かったG.I.ジョー(マスデバイス)が最初って形になるみたいなので、考えてみたらずっと歴史が浅いんですよね。
Commented by joefig at 2013-12-25 23:54
>NORさん
12インチのG.I.ジョーについてはもっとマニアックな知識をお持ちの方が大勢いらっしゃると思うので、ニワカな知識で書くのは勇気がいりました。

日本でのパイオニアはやっぱり手塚治虫に行き着くんですね!それもすごい話です。
でも日本の場合、アニメに頼らず変身サイボーグやミクロマンを展開していたタカラの存在のほうが我々的にはより一層重要ですね!
……とここまで書いてみて、ふと、手塚治虫の『ミクロイドS』(1973年)とタカラの「ミクロマン」(1974年)の時期が非常に近いことに気付きました。何か影響はあったのかな?